その時、には気づけなかったこと。

その時、には気づけなかったことヒトリゴト

まだ子どもが息子1人だけだった時にも

あー大変!
これも大変!
もー面倒くさい!
やんなっちゃう!

 

みたいに思うこともあったんですが、今思えばどれもこれも幸せな時間だったのになぁということ。

 

息子とのお風呂はそれはそれで面倒で、夫が休みの日に私1人で入れるバスタイムが贅沢に感じていました。

でも娘が産まれ、いざ子ども達と3人で一緒に入るとなると、息子と2人で入ってた時が愛おしく感じました。

 

夫が休みの日には夫が娘と、私が息子と入ります。
1人は1人で気楽でしたが、息子とのバスタイムは面倒どころか楽しい時間になってることに気づきました。

 

私の中で「今まで」と「大変になったこと」で比較をして、「大変になったこと」に毎回面倒くささを感じていたのかもしれません。

 

「1人で入浴してた頃」と「息子と入浴するようになったこと」では後者、

「息子と2人で入浴してた頃」と「息子、娘と3人で入浴するようになったこと」でも後者、

ちょっと面倒になったなって。

 

今、息子と2人での入浴を面倒と思わず楽しめてるなら、元々そう思える要素はあったわけで。

「その時」に気づけなかったのがなんだかもったいなかったなぁと。

 

 

他にも。

息子1人を保育園に送迎してた頃、自転車漕ぐの重いなぁ、疲れたなぁ、なんて思う時もあったりして。

 

でも娘が産まれ、自転車ではなく、娘抱っこの息子手繋ぎで徒歩で送迎するようになり、
たまに夫が休みの日には娘を見てもらって自転車でお迎えに行ったりするのですが。

 

自転車に乗り、「速いねー!わぁー!風がくすぐったいねー!」なんてはしゃいでる息子を見るとペダルの重さなんぞ感じもせず、楽しいなー、可愛いなー、なんて感じてる私がいて。

 

 

ご飯の時も。

息子1人の時は、あ!こぼした!落とした!手口ベタベタ!1人でゆっくり食べられたらどんなに…(ため息)
なんて思う時もあったりして。

 

でも娘が産まれ、息子とのご飯中に泣かれようものなら抱き上げたり授乳したり。

 

授乳しながら自分のご飯をマッハで食べ、娘を抱えながら息子の食事補助をし、片手で娘、片手で息子の手口を綺麗にする…

 

時に娘が寝てくれている間に息子と2人でゆっくりご飯が食べられると、息子のニコニコした顔見て2人で話しながら食べる幸せとかご飯の美味しさに気づいたり。

 

 

当社比、じゃないけどそんな感じで自分比で面倒に感じたり幸せに感じたり。

 

比べないと気付かないんじゃなくて、

やらねばならぬ状況下では自然とキャパシティが広がるわけですが、そうではなかった前段階でも違う視点で見られてたら、もっといっぱい幸せ時間を過ごせてたんだろうなと。

 

 

お風呂も保育園もご飯中に世話が焼けるのも

ほんの数年のこと。

 

 

ほんの数年後には一緒にお風呂も入ってくれなくなり、親とは登校しなくなり、ご飯も自分でササッと食べるようになる。

 

 

今の大変(だと勝手に思っている)日々を、もっともっと愛おしく、恋しく思う日がやってくるのだろうと。

 

 

忙しかったり余裕がなかったりすると、

んあ゛ーーーっヽ(`Д´#)ノ!

ってなるけど、余裕のある時にはひと呼吸置いて向き合いたいなぁと思った次第です。

 

 

(吸って~)すぅ~・・・

 

(吐いて~)はぁ~・・・

 

 

真夜中に書いているので、真っ昼間に読み返したら恥ずかしい、青臭い文章になっているのかもしれませんが、自分比で気づいたことを書き留めておきます。

 

真夜中に書いたラブレターって、翌日読み返したらホラーだったりしたなぁと遠い目をしておやすみなさい。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました